Moc
dj / cro-magnon / jazzy sport / organizer / freelance booker / freelance coordinator / renaissance

本日、無事に母の葬儀を終えました。
昔の実家の目と鼻の先にある教会で開催しました。
自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
自分は高校に入ってから教会には行かなくなり、高校卒業後は渡米したのでそこで知り合った方々とは疎遠になってしまいました。
自分はひとりっ子、そして母と父は自分が幼い頃から別居していたので、母はひとりで生活して音楽活動をしていました。
そんな日々、教会のお兄ちゃん達は常に母のことを気にかけ、時々家に会いに行ったりしてくれていました。
生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
そんな事を思い出して、その教会で葬儀を開催する事にしました。
自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
感謝しかありません。
まだまだやる事はありますが、とりあえずひと段落です。
そしてこれからは自分の人生第二章。
至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
心配してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
自分は大丈夫です。
乗り越えて生きますので今後ともよろしくお願いします。

本日、無事に母の葬儀を終えました。
昔の実家の目と鼻の先にある教会で開催しました。
自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
自分は高校に入ってから教会には行かなくなり、高校卒業後は渡米したのでそこで知り合った方々とは疎遠になってしまいました。
自分はひとりっ子、そして母と父は自分が幼い頃から別居していたので、母はひとりで生活して音楽活動をしていました。
そんな日々、教会のお兄ちゃん達は常に母のことを気にかけ、時々家に会いに行ったりしてくれていました。
生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
そんな事を思い出して、その教会で葬儀を開催する事にしました。
自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
感謝しかありません。
まだまだやる事はありますが、とりあえずひと段落です。
そしてこれからは自分の人生第二章。
至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
心配してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
自分は大丈夫です。
乗り越えて生きますので今後ともよろしくお願いします。

本日、無事に母の葬儀を終えました。
昔の実家の目と鼻の先にある教会で開催しました。
自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
自分は高校に入ってから教会には行かなくなり、高校卒業後は渡米したのでそこで知り合った方々とは疎遠になってしまいました。
自分はひとりっ子、そして母と父は自分が幼い頃から別居していたので、母はひとりで生活して音楽活動をしていました。
そんな日々、教会のお兄ちゃん達は常に母のことを気にかけ、時々家に会いに行ったりしてくれていました。
生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
そんな事を思い出して、その教会で葬儀を開催する事にしました。
自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
感謝しかありません。
まだまだやる事はありますが、とりあえずひと段落です。
そしてこれからは自分の人生第二章。
至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
心配してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
自分は大丈夫です。
乗り越えて生きますので今後ともよろしくお願いします。

本日、無事に母の葬儀を終えました。
昔の実家の目と鼻の先にある教会で開催しました。
自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
自分は高校に入ってから教会には行かなくなり、高校卒業後は渡米したのでそこで知り合った方々とは疎遠になってしまいました。
自分はひとりっ子、そして母と父は自分が幼い頃から別居していたので、母はひとりで生活して音楽活動をしていました。
そんな日々、教会のお兄ちゃん達は常に母のことを気にかけ、時々家に会いに行ったりしてくれていました。
生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
そんな事を思い出して、その教会で葬儀を開催する事にしました。
自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
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まだまだやる事はありますが、とりあえずひと段落です。
そしてこれからは自分の人生第二章。
至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
心配してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
自分は大丈夫です。
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本日、無事に母の葬儀を終えました。
昔の実家の目と鼻の先にある教会で開催しました。
自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
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自分はひとりっ子、そして母と父は自分が幼い頃から別居していたので、母はひとりで生活して音楽活動をしていました。
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生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
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涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
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大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
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自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
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至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
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本日、無事に母の葬儀を終えました。
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自分は小さい時にその教会へ行っていました。
牧師先生の息子さんが幼馴染みだったので遊びに行っていたのですが、気がついたら教会学校に参加していました。
教会には同世代の子が来ていたり、歳上の人達がいたり、大人達がいたり、様々な人々が集っていました。
そこで出逢った人の中に自分の事を本当の弟の様に可愛がってくれていた歳上のお兄ちゃん達がいました。
大人達も自分のことをとても可愛がってくれて、まるで大きな家族の様な感じでした。
自分は高校に入ってから教会には行かなくなり、高校卒業後は渡米したのでそこで知り合った方々とは疎遠になってしまいました。
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そんな日々、教会のお兄ちゃん達は常に母のことを気にかけ、時々家に会いに行ったりしてくれていました。
生前、母は自分に、そのお兄ちゃん達とは必ず再会する様に、と何回も伝えてくれていました。
そんな事を思い出して、その教会で葬儀を開催する事にしました。
自分から直接声をかけたのは2人のお兄ちゃんだけだったのですが、蓋を開けたら母と仲良かった、慕ってくれていた沢山の方々が集ってくれました。
とてもとても暖かくて豊かな時間でした。
涙が絶えませんでしたが、まるで長年帰っていなかった暖かい実家に戻った様な気持ちで、悲しい涙ではなく愛を感じた感動の涙でした。
沢山の方々が母と自分の事をずっと覚えていて、想ってくれていました。
そしてそれがどれだけ尊いものかを教えられました。
最後の最後まで母には教えを頂きました。
偉大ですね。
母がこの経験を与えてくれ、再会の機会を作ってくれたのだと捉えています。
きっと母もあの場に集い微笑んでいてくれたと思います。
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まだまだやる事はありますが、とりあえずひと段落です。
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至らない事だらけの自分ですが、母と父の想いを継承しつつ、自分のすべき事を常に模索して生きていこうと思います。
心配してくださった皆さま、本当にありがとうございます。
自分は大丈夫です。
乗り越えて生きますので今後ともよろしくお願いします。

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
.
.
Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
.
.
Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
.
.
Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
.
.
Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
そんな愛する母もとうとう居なくなってしまいました。
4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
自分の人生の在り方として取り組んでいたと思います。
母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
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4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
ですが、この悲しみを乗り越えた先に向かうべき道も見えてます。
自分は今後、父と母の想いを継承した人生を全うしていこうと思います。
家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
そしていま現在、既に両親を継承する人生を無意識に歩き初めている自分にも気がつきました。
それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
『すべての出来事には意味がある』と思っています。
自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
そして今まで母と自分の生活を心配してくれてた皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

6/26(thu)、最愛なる母が他界しました。
10年前、脳梗塞になってから今日まで介護の日々でしたが、先日、突然旅立ってしまいました。
母は音楽家 / チェンバロニストでした。
父と結婚して建てた家は母がバロック様式でサロンコンサートを開催できる創りになっていました。
17世紀〜18世紀にかけてのバロック期を再現すべく、
母はチェンバロ、ハープシコード等で音楽を奏で、紅茶と当時のお菓子を再現するスペシャリストのお友達とコラボレーションして当時の空間と文化を継承していました。
そして日本人としてのIdentityに向き合い、三味線やお琴とsessionもしていました。
その後、母は介護施設に演奏をしに行く様になりました。
音楽療法です。
母が仲良くさせて頂き、尊敬をしていた聖路加病院の日野原先生という方がいらっしゃいます。
自分も幼少期にとても可愛がって頂いたのは良き思い出です。
その方が日本音楽療法連盟会長だったのです。
そこから母もinspireを受け、音楽療法にも取り組む様になりました。
母と父とは自分が幼い頃に別居となったので、母は経済的にも音楽活動だけで生きてきました。
問題児だった自分のこともしっかりと育て、本当に大変だったと思います。
自らが選んだ人生が大変なのは多分本人が一番よく分かっていたと思います。
特に音楽療法に関しては殆どボランティアで行っていました。
お金になる事じゃないけど、母はそれを豊かと捉え、
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母はよく『相手の気持ちを考えなさい』と自分に伝えくれていました。
そして母はそれを常に心掛けていたと思います。
とても愛情深い人でした。
10年前、脳梗塞になった際に、『これで障害者の気持ちが少し分かれる様になる』と言った時、自分はこの人の下に生まれて本当に良かったと感動しました。
脳梗塞の後遺症としては左半身麻痺。
動く事は出来ますが、外出は無理だし、歩くのもやっとな状態でした。
なので音楽活動は自ずと終演しました。
その後、母はデイサービスに行く様になりました。
最初はデイサービスのプログラムに沿って時間を過ごしていました。
ですが、ある時からオモチャの様なキーボードで頑張って演奏をして、デイサービスの人達とみんなで歌を歌ったり、弾き方を教えてあげたりし始めました。
母の音楽活動は終わっていなかったのです。
そしてそんな経験の執筆もまた始まりました。
生まれてきた意味
音楽家、風間 千寿子としての人生の送り方
Identity
愛
母はそんな事に向き合って生きていました。
そんな母が自分にとって世界で最も尊敬する、誇れるArtistであり最愛の母親です。
常に愛に溢れていて、自身が大変でも人の事を優先に考えていました。
つい最近でも、動くのがやっとな体調なのに、
『いってらっしゃい。良いPlayが出来ると良いね。
しっかりね!気を付けて。』
と玄関まで見送りに来てくれました。
家に帰れば自分にお茶を淹れておいてくれたり、夜中に目が覚めたら『おかえり』と声をかけてくれたり…。
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4月に父を失い、いま母を失う。
深い悲しみの更に奥に自分はいます。
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家庭環境はそれぞれだと思いますし、正解もないと思います。
ですが、自分は自身の父親と母親の下に生まれた事に意味を感じています。
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それが答えであり、最愛なる両親に対する恩返しだと考えます。
母が教えてくれた様に、
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自分の人生第二章はここから始まります。
長々と長文失礼しました。
やはり自分は母と同じで、音楽や文章、言葉で表現をし、伝えていく事を大切にしているみたいです。
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本当にありがとうございました。
この場を借りてご報告及び感謝の言葉とさせて頂きます。
.
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Ma、いままで本当にありがとう。
学生時代は本当に大変な想いをさせてごめんね。
音楽での生活は苦しいのに、僕には不自由させず、愛をもって育ててくれた事に本当に感謝してるよ。
親父とも別居しながら、音楽人生を1人で、
彼氏すら作らずに生きてきたのは本当に大変だったと思います。
よく頑張ったね!
素晴らしいと尊敬しています!
Maの人生、最後の約18年間を一緒に暮らせたのは僕にとって人生の忘れられない時間であり宝でもあるよ。
介護を出来たのも本当に豊かな経験だった。
あなたの息子で本当に良かった。
産んでくれてありがとう。
沢山の愛をありがとう。
心から愛しているよ。
またいつか逢おうね。
Your son, with Love,
Renai

4/7、今朝6:00、京都で入院していた最愛の父親が他界しました
前日の夕方に病院から、『容態が急変し危篤状態にある』と電話がありました
しかし昨夜はtunnelで2人会のDJ
とても悩みましたが朝までしっかりDJをしてから京都に行く事にしました
お店のstaffと相方のDJにこの件を伝えたところ『今すぐに行った方が良いのでは?』と言ってくれました
モチロン自分もそう考えました
ですが、きっと父なら『仕事を全うする事を優先しろ』と言ったと思います
musicianとして人生を築いてきた母親も同じ意見でした
自分が家を出る時に母が、『パパの事で不安だろうけど、そんな時だからこそしっかりと表現に向き合うべき。そういう時に良い演奏が出来たりするものなのよ』と伝えてくれました
DJの時は何も考えずしっかりとPlayをする
DJが終わってから父親の事を考えなさい
その言葉を胸に刻み5:30までDJを全うしました
その後、直ぐに品川駅に向かい新幹線の切符を買う時に病院から着信
『ずっと頑張っていましたが、たったいま息をお引き取りになりました』との事でした
信じられない、信じたくない…
けどそれが事実に違いない…
新幹線の中で呆然としてしまい全く寝ることも出来ませんでした
病院に着き、痩せこけた父に会ったときに、『あぁ、本当に逝ってしまったんだ…』と実感しました
涙が溢れてきましたが、もう父がこれ以上辛い想いをしなくて済むのでこれで良かったんだと納得できました
そこから1時間、冷たくて硬直している身体を抱きしめたり、胸に顔を埋めたり、手を握ったりしながら父の耳元で自分の想いと感謝の気持ちを伝えました
一生忘れない1時間
そしていま帰りの新幹線でこの文章を書いてますが恥ずかしいくらい涙が止まりません
愛する父との別れ
辛くて仕方ないですが、これで最愛な人を失った方の
気持ちに寄り添えます
そんな経験を与えてくれた父親に感謝です
絵画、版画、彫刻、オペラ、クラシックなどが大好きだった父
アメリカ人にnativeよりも英語が上手いと言われてた父
とても愛情深く、優しく、暖かい父
そんな父の息子である事を誇りに思います
そして父が教えてくれた事を大切にしながら生きていきます
この件を投稿する事には迷いましたが、こうやって想いを活字にしないと自分が潰れそうだったのでご理解ください
親父、ありがとう
ゆっくり休んでね
愛しているよ

代官山の隠れ家的なDJ BAR、✨Debris✨
DJ BARにも拘わらず本格的な中華粥やおつまみにちょうど良い一品料理が食べられます
ドリンクもオリジナルカクテルから薬酒までご用意があります
更に分煙になっているので煙いのが苦手な方には最適です😶🌫️
因みに喫煙所でも音は楽しめます🎶
そんなDebrisにて5/27(wed)に"Debris Mood"を開催します
今回のGuest DJは、
SZK
Daisuke (Listemes)
のお二人です
SZK (シズク)ちゃんはDaisukeに紹介して貰ったDJ
初めて聴いた時にセンスを感じまして今回のbookingに繋がりまして
Daisukeは巷でup and commerなNice DJ
今回も面白そうな融合になりそうです
平日水曜日ではありますが、日常に非日常な体験をしに来て頂ければと思います
お待ちしてます🌹
_/_/_/
5/27 (wed)
"Debris Mood"@代官山Debris
■OPEN:19:00
■CHARGE:¥1,000
■DJs
SZK
Daisuke (Listemes)
Moc

代官山の隠れ家的なDJ BAR、✨Debris✨
DJ BARにも拘わらず本格的な中華粥やおつまみにちょうど良い一品料理が食べられます
ドリンクもオリジナルカクテルから薬酒までご用意があります
更に分煙になっているので煙いのが苦手な方には最適です😶🌫️
因みに喫煙所でも音は楽しめます🎶
そんなDebrisにて5/27(wed)に"Debris Mood"を開催します
今回のGuest DJは、
SZK
Daisuke (Listemes)
のお二人です
SZK (シズク)ちゃんはDaisukeに紹介して貰ったDJ
初めて聴いた時にセンスを感じまして今回のbookingに繋がりまして
Daisukeは巷でup and commerなNice DJ
今回も面白そうな融合になりそうです
平日水曜日ではありますが、日常に非日常な体験をしに来て頂ければと思います
お待ちしてます🌹
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5/27 (wed)
"Debris Mood"@代官山Debris
■OPEN:19:00
■CHARGE:¥1,000
■DJs
SZK
Daisuke (Listemes)
Moc

代官山の隠れ家的なDJ BAR、✨Debris✨
DJ BARにも拘わらず本格的な中華粥やおつまみにちょうど良い一品料理が食べられます
ドリンクもオリジナルカクテルから薬酒までご用意があります
更に分煙になっているので煙いのが苦手な方には最適です😶🌫️
因みに喫煙所でも音は楽しめます🎶
そんなDebrisにて5/27(wed)に"Debris Mood"を開催します
今回のGuest DJは、
SZK
Daisuke (Listemes)
のお二人です
SZK (シズク)ちゃんはDaisukeに紹介して貰ったDJ
初めて聴いた時にセンスを感じまして今回のbookingに繋がりまして
Daisukeは巷でup and commerなNice DJ
今回も面白そうな融合になりそうです
平日水曜日ではありますが、日常に非日常な体験をしに来て頂ければと思います
お待ちしてます🌹
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5/27 (wed)
"Debris Mood"@代官山Debris
■OPEN:19:00
■CHARGE:¥1,000
■DJs
SZK
Daisuke (Listemes)
Moc

代官山の隠れ家的なDJ BAR、✨Debris✨
DJ BARにも拘わらず本格的な中華粥やおつまみにちょうど良い一品料理が食べられます
ドリンクもオリジナルカクテルから薬酒までご用意があります
更に分煙になっているので煙いのが苦手な方には最適です😶🌫️
因みに喫煙所でも音は楽しめます🎶
そんなDebrisにて5/27(wed)に"Debris Mood"を開催します
今回のGuest DJは、
SZK
Daisuke (Listemes)
のお二人です
SZK (シズク)ちゃんはDaisukeに紹介して貰ったDJ
初めて聴いた時にセンスを感じまして今回のbookingに繋がりまして
Daisukeは巷でup and commerなNice DJ
今回も面白そうな融合になりそうです
平日水曜日ではありますが、日常に非日常な体験をしに来て頂ければと思います
お待ちしてます🌹
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5/27 (wed)
"Debris Mood"@代官山Debris
■OPEN:19:00
■CHARGE:¥1,000
■DJs
SZK
Daisuke (Listemes)
Moc

代官山の隠れ家的なDJ BAR、✨Debris✨
DJ BARにも拘わらず本格的な中華粥やおつまみにちょうど良い一品料理が食べられます
ドリンクもオリジナルカクテルから薬酒までご用意があります
更に分煙になっているので煙いのが苦手な方には最適です😶🌫️
因みに喫煙所でも音は楽しめます🎶
そんなDebrisにて5/27(wed)に"Debris Mood"を開催します
今回のGuest DJは、
SZK
Daisuke (Listemes)
のお二人です
SZK (シズク)ちゃんはDaisukeに紹介して貰ったDJ
初めて聴いた時にセンスを感じまして今回のbookingに繋がりまして
Daisukeは巷でup and commerなNice DJ
今回も面白そうな融合になりそうです
平日水曜日ではありますが、日常に非日常な体験をしに来て頂ければと思います
お待ちしてます🌹
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5/27 (wed)
"Debris Mood"@代官山Debris
■OPEN:19:00
■CHARGE:¥1,000
■DJs
SZK
Daisuke (Listemes)
Moc

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5/20、来週水曜日はDJ BAR Bridge ShinjukuにでDJです
今回のGuest DJはRiriko Nishikawa
Originality溢れる、One and Onlyな表現をするDJ
そのセンスにはいつも触発されます
今回はどんなPlayをしてくれるのかとても楽しみです
DJ BAR Bridge、渋谷と新宿にお店があります
古くはYellowやAIR、Contact等を展開していたCrew
音響やLighting、店内の世界観からは拘りのセンスと文化を感じられます
年齢層や国籍も様々
1人でも、団体でも、気軽に来れて心地良い時間を過ごせます
今回も21:00〜5:00 (DJ Start at 22:00)
終電まででも、終電からでも、ずっとでも
アナタのお越しをお待ちしてます🌹

🌙
5/20、来週水曜日はDJ BAR Bridge ShinjukuにでDJです
今回のGuest DJはRiriko Nishikawa
Originality溢れる、One and Onlyな表現をするDJ
そのセンスにはいつも触発されます
今回はどんなPlayをしてくれるのかとても楽しみです
DJ BAR Bridge、渋谷と新宿にお店があります
古くはYellowやAIR、Contact等を展開していたCrew
音響やLighting、店内の世界観からは拘りのセンスと文化を感じられます
年齢層や国籍も様々
1人でも、団体でも、気軽に来れて心地良い時間を過ごせます
今回も21:00〜5:00 (DJ Start at 22:00)
終電まででも、終電からでも、ずっとでも
アナタのお越しをお待ちしてます🌹

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5/20、来週水曜日はDJ BAR Bridge ShinjukuにでDJです
今回のGuest DJはRiriko Nishikawa
Originality溢れる、One and Onlyな表現をするDJ
そのセンスにはいつも触発されます
今回はどんなPlayをしてくれるのかとても楽しみです
DJ BAR Bridge、渋谷と新宿にお店があります
古くはYellowやAIR、Contact等を展開していたCrew
音響やLighting、店内の世界観からは拘りのセンスと文化を感じられます
年齢層や国籍も様々
1人でも、団体でも、気軽に来れて心地良い時間を過ごせます
今回も21:00〜5:00 (DJ Start at 22:00)
終電まででも、終電からでも、ずっとでも
アナタのお越しをお待ちしてます🌹

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5/20、来週水曜日はDJ BAR Bridge ShinjukuにでDJです
今回のGuest DJはRiriko Nishikawa
Originality溢れる、One and Onlyな表現をするDJ
そのセンスにはいつも触発されます
今回はどんなPlayをしてくれるのかとても楽しみです
DJ BAR Bridge、渋谷と新宿にお店があります
古くはYellowやAIR、Contact等を展開していたCrew
音響やLighting、店内の世界観からは拘りのセンスと文化を感じられます
年齢層や国籍も様々
1人でも、団体でも、気軽に来れて心地良い時間を過ごせます
今回も21:00〜5:00 (DJ Start at 22:00)
終電まででも、終電からでも、ずっとでも
アナタのお越しをお待ちしてます🌹

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青山にあるDJ BAR Tunnel & Red Bar
上にはRed Bar、下にはTunnelがありまして2Floorで遊べる最高な場所です
姉妹店には最近RenewalしたClub、OATH
Music Bar 黒蜥蜴 / KUROTOKAGEもあります
@shibuya_oath@kurotokage_tokyo
各店、それぞれの世界観があり多種多様な音楽をお楽しみ頂けます
年齢層や国籍も様々
ClubやDJ BARは若者が集う場所と思いがちですが、自分がDJしている場所は全く違います
まず自分がDJしている時点で納得じゃないでしょうか? 笑
それに自分より年上のお客様も沢山いらっしゃいます
そんな方々が音楽を楽しんでいる姿はとても素敵です✨
昔はClubが好きだったし今でも興味あるけど、もうこの年齢になったら…という方々に是非来て欲しいと常々思っています!
さて、前置きが長くなりましたが5/9(sat)、今週土曜日はAoyama TunnelにてDJします
相方は以前にも共演したLapis🌟
若いのにPlayから人柄を感じるセンスが溢れる期待のNice DJ
今回はどんな表現をしてくれるのかとても楽しみです🔥
21:00〜7:00まで
Hip Hop, R&B, Soul, Funk, Rare Groove, Disco, Reggae, Dub, Latin, Afrobeat, Acid Jazz, Breakbeats, House…
様々な音楽で一晩を創ります
自分とLapis、Tunnel Staffで創る一晩のMusic Journey✈️
是非お越しください🍀
お待ちしてます🌹

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青山にあるDJ BAR Tunnel & Red Bar
上にはRed Bar、下にはTunnelがありまして2Floorで遊べる最高な場所です
姉妹店には最近RenewalしたClub、OATH
Music Bar 黒蜥蜴 / KUROTOKAGEもあります
@shibuya_oath@kurotokage_tokyo
各店、それぞれの世界観があり多種多様な音楽をお楽しみ頂けます
年齢層や国籍も様々
ClubやDJ BARは若者が集う場所と思いがちですが、自分がDJしている場所は全く違います
まず自分がDJしている時点で納得じゃないでしょうか? 笑
それに自分より年上のお客様も沢山いらっしゃいます
そんな方々が音楽を楽しんでいる姿はとても素敵です✨
昔はClubが好きだったし今でも興味あるけど、もうこの年齢になったら…という方々に是非来て欲しいと常々思っています!
さて、前置きが長くなりましたが5/9(sat)、今週土曜日はAoyama TunnelにてDJします
相方は以前にも共演したLapis🌟
若いのにPlayから人柄を感じるセンスが溢れる期待のNice DJ
今回はどんな表現をしてくれるのかとても楽しみです🔥
21:00〜7:00まで
Hip Hop, R&B, Soul, Funk, Rare Groove, Disco, Reggae, Dub, Latin, Afrobeat, Acid Jazz, Breakbeats, House…
様々な音楽で一晩を創ります
自分とLapis、Tunnel Staffで創る一晩のMusic Journey✈️
是非お越しください🍀
お待ちしてます🌹

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青山にあるDJ BAR Tunnel & Red Bar
上にはRed Bar、下にはTunnelがありまして2Floorで遊べる最高な場所です
姉妹店には最近RenewalしたClub、OATH
Music Bar 黒蜥蜴 / KUROTOKAGEもあります
@shibuya_oath@kurotokage_tokyo
各店、それぞれの世界観があり多種多様な音楽をお楽しみ頂けます
年齢層や国籍も様々
ClubやDJ BARは若者が集う場所と思いがちですが、自分がDJしている場所は全く違います
まず自分がDJしている時点で納得じゃないでしょうか? 笑
それに自分より年上のお客様も沢山いらっしゃいます
そんな方々が音楽を楽しんでいる姿はとても素敵です✨
昔はClubが好きだったし今でも興味あるけど、もうこの年齢になったら…という方々に是非来て欲しいと常々思っています!
さて、前置きが長くなりましたが5/9(sat)、今週土曜日はAoyama TunnelにてDJします
相方は以前にも共演したLapis🌟
若いのにPlayから人柄を感じるセンスが溢れる期待のNice DJ
今回はどんな表現をしてくれるのかとても楽しみです🔥
21:00〜7:00まで
Hip Hop, R&B, Soul, Funk, Rare Groove, Disco, Reggae, Dub, Latin, Afrobeat, Acid Jazz, Breakbeats, House…
様々な音楽で一晩を創ります
自分とLapis、Tunnel Staffで創る一晩のMusic Journey✈️
是非お越しください🍀
お待ちしてます🌹

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5/2、今週土曜日は山形SandinistaへDJで伺います
長年、個人的な事情で行けず今回が最初で最後のSandinistaになります
というのも、現在のSandinistaが営業終了😢
そんな節目という事で、盟友、cro-magnonも一夜限りの再結成
しかもfeat. 有坂美香 & Keyco
DJにはconomark a.k.a. masa
Represent Yamagata, Saitoくん
豪華なメンツが揃います🔥
これがLast Partyになります
悲しくもありますが、今回行ける事に感謝です
何事にも永遠はありません
今回の件をもって今後どう生きていくかが大切
想いを込めた自分らしいPlayが出来ればと思います✊🏽
近郊の皆さまはモチロン、日本各地より集ってください✨
お待ちしてます🔥

🌙
何かと海外からのDJと共演する機会が多い最近、
普段にはないinspirationを貰えています
先週のMexicoからのferotoに続き、4/22(wed)は代官山のDJ BAR Debrisにて、韓国からDJ Jinwookをお招きして2人会を開催します
自分の仲間とも繋がりがあり以前から気になっていたJinwook、念願叶っての音楽Sessionはとても楽しみです
機会を作ってくれたRicoちゃんには感謝です🙏🏽
以下、今回の仕掛人Ricoちゃんのメッセージです
皆さま、なかなか無いこの機会、是非お越しください🌹
_/_/_/
JinwookさんとMocさんは、きっと相性がいいだろうなと前々から思っていて。
いつか一緒に、という妄想を、今回やっと現実にできました。
そして、Débrisでパーティーをさせてもらうのも今回が初めてです。
⸻
代官山の隠れ家的なDJ BAR「Débris」にて。
19時から、お時間の許すまで。
音と空間をゆっくり楽しむ夜を、JinwookさんとMocさんと。
Débrisでは、本格的な中華粥や、ちょうど良い一品料理も楽しめて、ドリンクはオリジナルカクテルから薬酒まで。
分煙なので、煙が苦手な方も安心して過ごせます。
ふらっと一杯でも、しっかり音を浴びにでも🫶
お待ちしています。
⸻
4/22(wed)
SUNSET DISCO HAMMERED EDIT @ Débris
■ OPEN:19:00 – LATE
■ CHARGE:¥1,500
■ GUEST DJ
DJ Jinwook(DISCO SURF from KOREA)
■ DJ
Moc

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何かと海外からのDJと共演する機会が多い最近、
普段にはないinspirationを貰えています
先週のMexicoからのferotoに続き、4/22(wed)は代官山のDJ BAR Debrisにて、韓国からDJ Jinwookをお招きして2人会を開催します
自分の仲間とも繋がりがあり以前から気になっていたJinwook、念願叶っての音楽Sessionはとても楽しみです
機会を作ってくれたRicoちゃんには感謝です🙏🏽
以下、今回の仕掛人Ricoちゃんのメッセージです
皆さま、なかなか無いこの機会、是非お越しください🌹
_/_/_/
JinwookさんとMocさんは、きっと相性がいいだろうなと前々から思っていて。
いつか一緒に、という妄想を、今回やっと現実にできました。
そして、Débrisでパーティーをさせてもらうのも今回が初めてです。
⸻
代官山の隠れ家的なDJ BAR「Débris」にて。
19時から、お時間の許すまで。
音と空間をゆっくり楽しむ夜を、JinwookさんとMocさんと。
Débrisでは、本格的な中華粥や、ちょうど良い一品料理も楽しめて、ドリンクはオリジナルカクテルから薬酒まで。
分煙なので、煙が苦手な方も安心して過ごせます。
ふらっと一杯でも、しっかり音を浴びにでも🫶
お待ちしています。
⸻
4/22(wed)
SUNSET DISCO HAMMERED EDIT @ Débris
■ OPEN:19:00 – LATE
■ CHARGE:¥1,500
■ GUEST DJ
DJ Jinwook(DISCO SURF from KOREA)
■ DJ
Moc

4月は、平日にもパーティーを1つ。
JinwookさんとMocさんは、きっと相性がいいだろうなと前々から思っていて。
いつか一緒に、という妄想を、今回やっと現実にできました。
そして、Débrisでパーティーをさせてもらうのも今回が初めてです。
⸻
代官山の隠れ家的なDJ BAR「Débris」にて。
19時から、お時間の許すまで。
音と空間をゆっくり楽しむ夜を、JinwookさんとMocさんと。
Débrisでは、本格的な中華粥や、ちょうど良い一品料理も楽しめて、
ドリンクはオリジナルカクテルから薬酒まで。
分煙なので、煙が苦手な方も安心して過ごせます。
ふらっと一杯でも、しっかり音を浴びにでも🫶
お待ちしています。
⸻
4/22(wed)
SUNSET DISCO HAMMERED EDIT @ Débris
■ OPEN:19:00 – LATE
■ CHARGE:¥1,500
■ GUEST DJ
DJ Jinwook(DISCO SURF from KOREA)
■ DJ
Moc

4/15(wed)は原宿loworにてDJします
この日は新宿BridgeでもDJですが、その前に原宿 lowerにて演ります
初めてのvenueなのでとても楽しみです
誘ってくれたDr. Payちゃんに感謝🙏🏽
19:00〜23:00
Entrance Free
自分の出演は19:40〜21:00
終わり次第で新宿Bridgeに向かいます
原宿から新宿まで、ご一緒に如何でしょう?
お待ちしてます🌹
_/_/_/
4.15 (Wed)
lowor party
@lowor
■Open19:00
■Entrance :free
■DJs
19:00-19:40万遍
19:40-21:00Moc
21:00-22:20FOOL
22:20-23:00万遍
■lowor
〒151-0051
渋谷区千駄ヶ谷3-52-9
パークレーン原宿1F/B1

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青山にNew OpenしたMusic Bar "KUROTOKAGE"
センスが光る内装 / 雰囲気はluxuaryでとても心地良いです
高品質のSound Systemで鳴らす音は極上
そして店内は分煙になっていますので、煙が苦手な方も気分良く過ごせると思います
そんな"KUROTOKAGE"、明日4/13(mon)に選曲します
20:00〜24:00
この機会に来てみては如何でしょう?
お待ちしてます🌹

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青山にNew OpenしたMusic Bar "KUROTOKAGE"
センスが光る内装 / 雰囲気はluxuaryでとても心地良いです
高品質のSound Systemで鳴らす音は極上
そして店内は分煙になっていますので、煙が苦手な方も気分良く過ごせると思います
そんな"KUROTOKAGE"、明日4/13(mon)に選曲します
20:00〜24:00
この機会に来てみては如何でしょう?
お待ちしてます🌹
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