𝐑𝐲𝐮𝐬𝐮𝐤𝐞 𝐀𝐛𝐞
𝐉𝐀𝐏𝐀𝐍
•
•
• 𝐀𝐨𝐲𝐚𝐦𝐚 𝐆𝐚𝐤𝐮𝐢𝐧 𝐀𝐥𝐮𝐦𝐧𝐮𝐬 𝟐𝟎𝟐𝟒ㅤ
• 𝐖𝐇𝐒’𝟏𝟗🇺🇸

街の隅々で昭和の歌謡が流れていて、
蕎麦湯と鰻のタレの匂いが絡んだ空気。
こんな人間臭さのある街が大好きだ。
そんな人混みの中を付いて来てくれる君も、だ。
(祖母の単衣も好んで着てくれて感謝)

TOYOOKA1925様の御厚意と、
洋裝倶樂部「靑年會」關西支部の皆様の御企畫に、
衷心より感謝申し上げます。
かねてより豐岡に緣を有する身として、
此度ふたたび此の地に歸り来たりし感慨ひとしおにて、
加えて輕快にして過ごしやすき宵の趣も相俟ち、
忘れ難き思い出となりさうです。

TOYOOKA1925様の御厚意と、
洋裝倶樂部「靑年會」關西支部の皆様の御企畫に、
衷心より感謝申し上げます。
かねてより豐岡に緣を有する身として、
此度ふたたび此の地に歸り来たりし感慨ひとしおにて、
加えて輕快にして過ごしやすき宵の趣も相俟ち、
忘れ難き思い出となりさうです。

TOYOOKA1925様の御厚意と、
洋裝倶樂部「靑年會」關西支部の皆様の御企畫に、
衷心より感謝申し上げます。
かねてより豐岡に緣を有する身として、
此度ふたたび此の地に歸り来たりし感慨ひとしおにて、
加えて輕快にして過ごしやすき宵の趣も相俟ち、
忘れ難き思い出となりさうです。

TOYOOKA1925様の御厚意と、
洋裝倶樂部「靑年會」關西支部の皆様の御企畫に、
衷心より感謝申し上げます。
かねてより豐岡に緣を有する身として、
此度ふたたび此の地に歸り来たりし感慨ひとしおにて、
加えて輕快にして過ごしやすき宵の趣も相俟ち、
忘れ難き思い出となりさうです。

TOYOOKA1925様の御厚意と、
洋裝倶樂部「靑年會」關西支部の皆様の御企畫に、
衷心より感謝申し上げます。
かねてより豐岡に緣を有する身として、
此度ふたたび此の地に歸り来たりし感慨ひとしおにて、
加えて輕快にして過ごしやすき宵の趣も相俟ち、
忘れ難き思い出となりさうです。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
⸻
明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
⸻
明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
⸻
明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
⸻
明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
⸻
明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。

国立博物館で見た「韓国美術の玉手箱」の展示見た後の東アジアの伝統服飾についての所感
長文ですが、お時間に余裕のある方ご一覧いただけたら幸いです。
東アジアの伝統服飾が、それぞれの気候や地域の特徴を生かして独自の様式を生み出していったことは疑いない。しかし同時に、中華文明を中心として、東アジアおよび周辺諸国の服飾に大きな影響が及んだこともまた歴史的事実であろう。
日本や韓国が、中国の歴代王朝の服飾の一部を受け継いでいることは否定できない。けれども、それをもって隷属・屈辱と感じる必要はまったくない。むしろ、千年以上の時を超えて受け継がれてきたことに、ある種の誇りを抱いてもよいのではないかと思う。
日本の伝統服飾の中で、私たちが普段目にする着物「呉服」という言葉が示すように、その源流は中国の南朝に求められる。宮中の唐風の装束や、神主が着る狩衣なども、隋唐以降の圓領袍を祖型の一つとして変化してきたものである。
15世紀、日本人が明の洪武帝に対し、唐王朝の衣冠を引き継いでいることを誇示したとされる場面がある。
『明詩綜』 答大明皇帝問日本風俗
國比中原國、人同上古人。
衣冠唐制度、禮樂漢君臣。
(和訳)
我が国は中原に比すべき国であり、人は上古の人に同じ。
衣冠は唐の制度を継ぎ、礼楽は漢の君臣に倣う。
唐の滅亡後、東アジアが大きく動揺する中で、各勢力は唐の一部を継承しているという意識を持ち、それを自らの正統性の根拠とする。
小さな遊牧民だった契丹族が建国した遼においても、文明の継承をもって自らの対等性を示そうとした。
『契丹国志』巻九·道宗皇帝 耶律洪基
吾修文物、彬彬不異於中華、何嫌之有?
(和訳)
我らは文物を修め、中華と異ならぬほど整っている。何の隔たりがあろうか。
唐の正統な継承者は宋だけではない、我々遼もまた対等であるという主張である。ここで語られている継承は、政治のみならず、衣装、律令、文化といった広範な文明の要素を含んでいる。
ならば本朝においても優れた文明の一部を受け継いだと考えることは自然ではないだろうか。
京都や奈良で唐風の衣装を着る中国人観光客の姿を批判する声を耳にすることがある。「ここは日本なのに」という論調である。しかし、日本の歴史においてそれらの衣装が着られていた時代が確かに存在したこと、そして今なお唐の服飾と違和感なく調和する建築群が遺されていることを思えば、単純に否定できるものだろうか。
もちろん、起源という意味での「始まり」はある。しかし長い歴史の中で共有されてきた文化は、すでに共同の記憶でもある。
⸻
数日前、韓国美術の玉手箱という展覧会を観覧した。そこに展示されていた衣類に深く心を打たれた。朝廷に出仕する際の圓領の公服、幞頭、補子。美術品としても見事であったが、それ以上に歴史的文脈に思いを馳せずにはいられなかった。
韓国ドラマで見る大臣の服装を、今日では韓国固有のスタイルだと受け止めている人も多いかもしれない。しかしその多くは、明王朝が制度として定めた官服を朝鮮王朝が取り入れ、長く維持してきたものである。
明が満洲族によって滅ぼされ、従来の服装が禁じられた後も、朝鮮は明の衣冠を守り続けた。
『燕行録選集』には次のような記述がある。
市肆行人見使行服者,有感於漢朝衣冠,
至有垂淚者,此必漢人,誠可慘憐。
朝鮮の使節が来て、かつての漢人の衣冠をまとっているのを見た市井の人々が涙を流したという。そこには、故国の姿を他国の中に見るという複雑な感情が読み取れる。
本家が失われたあと、その衣冠を他国が着続けるという歴史は、誇りであると同時にどこか切ない。
韓国ドラマの中で、幞頭を被り緋色の圓領袍を着た朝鮮の大臣の隣に、明の使節がまったく無頓着の衣装で描かれていることがある。しかし歴史的には、同系統の服を着ていたはずである。こうした描写が、歴史の連続性を見えにくくしてしまうのは惜しい。
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明の滅亡以降、中華文明の服飾は大きく変容した。清朝300年の支配のもとで、少なくとも男性漢服の伝統は断絶を余儀なくされた。
現在、中国を思い浮かべるとチャイナドレスやマンダリンジャケットを想起する人が多いだろう。それらもまた中国文化の一部ではあるが、先秦から明に至るまで続いた衣冠の流れとは系統を異にする。
一度失われた慣習の復活は容易ではない。日本でも和装が日常から離れ、二世代も経てば着付けの知恵は家庭から失われる。すでに年に一度浴衣を着て、「襟の左右前後どっちだっけ」と思い出す程度である。
中国における漢服復興は、ほとんど考古学から始まるゼロからの再構築に近い。その試みは尊重されるべきであり、かつて同じ衣冠の時代を共有した隣人として、静かに見守る姿勢も必要なのではないだろうか。
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